ナッジ理論を用いたファシリテーターの環境づくり

ファシリテーターとは、ワークショップとは

先日の記事で、ファシリテーターが中立でいられる環境づくりについて触れました。今回は、「ナッジ」と呼ばれる環境づくりの理論からファシリテーターが設計する場について考えます。

ナッジ理論とは

ナッジ(nudge)とは、もともと「ひじで人を軽くつつく」とか「やさしく説得する」という意味をもつ英単語で、行動経済学の分野をスタートに「人を強制することなく、あるいは弱い強制をもって、行動を選べるようにする方法」を意味する言葉になりました。この理論の提唱者の一人リチャード・セイラーは、2017年にノーベル経済学賞を受賞しています1

ナッジ理論
人を強制することなく、あるいは弱い強制をもって、行動を選べるようにする方法。

ナッジは、もともとマーケティングの領域ではごく当たり前に使われたり研究されたりしてきたものではありますが、健康や医療、教育、犯罪抑止、そして職場改善(組織開発)等といった分野へ応用されつつあります。

ナッジについて詳しく考えてみましょう。ナッジ理論が意味する「非強制」「弱い強制」とはなんでしょうか。
以下にナッジの具体例を5つ挙げました。

  1. スーパーマーケットのBGMをスローテンポな曲に変えたところ、お客さんの滞留時間が長くなり、その結果、購入額が増えた。
  2. 横スクロール型のゲームにおいて、ゲーム開始時にキャラクターを画面左に配置し、余白空間を右側につくることで、なんの説明もなしに右の方へ動かしたくなる状況を作った。
  3. 男子トイレの小便器に1匹のハエを描き、清掃費を大幅削減した。
  4. 食堂でサラダを取りやすい位置に置き、それまで野菜などの体に良いものを食べない学生を減らした。
  5. 税金滞納者に「あなたの住む地域のほとんどの人は期限内に納税しています。」という趣旨の手紙を送り、納税率を増加させた。

いずれも「強制」をせずに何らかを選択したくなる環境をつくっていることがポイントです。

例えば1つ目のスーパーマーケットの例では、お客さんにゆったり買い物をするという選択をとってもらうことに成功しています。ここには「ゆっくり買い物をしてください。」「たくさん買ってください。」といった指示による強制を伴っていません。BGMという弱い強制力によって、ゆったり買い物をしたくなる環境をつくっています。

4つ目のサラダの例も「健康によい食物を積極的に摂取しましょう」と指導したところでどのくらい効果が見込めるか怪しいですし、学生が食事をする際に強制的に野菜を食べさせたらもはや人権を侵します。手の届きやすい位置にサラダが置かれているという、やはり環境によって、相手に健康的な食べ物を選ぶよう促しています。

このようにナッジには選択肢があります。選択者がどちらを選んでもいいようにしておかねばなりません。
提唱者であるセイラー氏も次のように語っています。

重要なのは、ナッジが「自由を守る」ものでなければならないということだ。

行動経済学で人の心を操る現代の魔法「ナッジ」とは何か|ノーベル経済学賞セイラー教授の「発明」 | クーリエ・ジャポンより

ファシリテーションはつまり小さなナッジ群

ファシリテーターは、自身が良いと思う方向に参加者が選んでもらえるような環境をつくると同時に、参加者の自由選択を尊重した空間を創造します。つまり小さなナッジの積み重ねによって、その場を事前に設計しているとも言えますし、その場の「いま、ここ(Here and Now)」を進行し続けているとも言えるわけです。

ナッジは、次の6つの原則からそれぞれの文字を、ちょっとごまかして(ナッジ提唱者の言)並べた言葉でもあります。すなわち、

  1. iNcentives:インセンティブ(目標に向かう意欲を高める刺激)
  2. Understand mappings:選択と幸福度の対応関係説明
  3. Defaults:あらかじめ用意された標準の選択
  4. Give Feedback:即時の反映
  5. Expect errors:過ちの予期
  6. Structure complex choices:複雑な選択の単純化

の6つです。
大文字のアルファベットを並べてNUDGESと呼びました。


ファシリテーションの文脈で、ナッジ理論の各原則について見ていきましょう。

  1. iNcentives:インセンティブ(目標に向かう意欲を高める刺激)
  2. 参加者が、場にとって良いとされる選択をしたとき、その参加者へメリットを与えられる環境をつくっておき、再びその行動を起こしてもらえるようにする考え方です。

    例えば、「この議題に貢献する発言には、皆さんできるだけ大きく頷くようにお願いします。」とファシリテーターから予め断りを入れておくことがあります。他者の頷きという刺激によって議題を終わらせる意欲を高め合える場になるよう期待します。

    iNcentives《インセンティブ(目標に向かう意欲を高める刺激)》を用いたファシリテーターのナッジです。

  3. Understand mappings:選択と幸福度の対応関係説明
  4. その選択をとった場合と取らなかった場合それぞれに、どんな状態が起こると予想され、その結果は満足できそうかを確認することです。

    例えば、最後の議題がまだ1つ残っているにもかかわらず、今の議題に結論が出そうもなく進捗が予定から大幅に遅れているとします。ファシリテーターは、今の議題を保留して最後の議題に少しでも触れておいたほうがいいか、最後の議題は次回にまわして今の議題に集中してこの話し合いを終わらせるか、それぞれメンバーに確認する、こういう振る舞いは、Understand mappings《選択と幸福度の対応関係説明》を行っています。

  5. Defaults:あらかじめ用意された標準の選択
  6. 参加者に採って欲しい選択を、ファシリテーターがあらかじめ用意しておくことです。

    例えば40分で3つの議題を消化せねばならないとき、「10分ずつ3つの議題を扱い、余る10分は予備の時間としておこう」とファシリテーターが予め考えておき、その進め方でよいか参加者に問う振る舞いはこのDefaults《あらかじめ用意された標準の選択》を用いたナッジです。

  7. Give feedback:即時の反映
  8. ある言動に対して、その言動の行い手になんらかの反応が“すぐに”返る仕組みを指します。

    例えば、発言をホワイトボードや模造紙に描きとる「ファシリテーショングラフィック」「グラフィックレコーディング 」という手法2があります。発言内容やその場の空気感が、即座に反映されるこの手法はGive feedback《即時の反映》の原則に従ったものです。

  9. Expect error:過ちの予期
  10. ときに人は、集団でいたり白熱したりすると合理的とはいえない誤った判断や反射的な振る舞いをとってしまう傾向があります。赤信号も皆で渡れば怖くなくなる状況です。

    例えばアイスブレイクが起こりすぎて熱狂的すぎる空間になった場合、1人ずつ目を閉じて落ち着く時間をあえてつくったり、予めプログラムにじっくりと起こったことを見つめ直す時間を用意しておくことは、このExpect error《過ちの予期》にのっとったナッジです。

  11. Structure complex choices:複雑な選択の単純化
  12. 話し合いの場において、私たちが取りうる選択肢は無限にあります。そこで解散したっていいし、誰かを指名して話してもらってもいい、そのまま沈黙する選択肢だってありうるしキリがありません。そこでファシリテーターは例えば「もう少しアイディアを広げましょうか?それともまとめに入りたいですか?」このようにメンバーへ問いかけ、無数の選択肢から絞ってとりあえず2択を示し、メンバーが行く手を選びやすくしています。Structure complex choices《複雑な選択の単純化》の原則を使った例でしょう。

このようにファシリテーターは参加者をナッジしながら、場を事前に設計したり進行したりしています3

なお、仮にファシリテーターが何もしない場においてもそこにナッジは働いています。そもそも何らかの環境がそこに設計されていることは「不可避」なのです。どこかの部屋に何かの名目で人が集まった時点で、たとえそのままの環境で過ごしたとしても何らかの影響を参加者に及ぼします。まったくの初対面の方が複数人で集まったときにファシリテーターが何もしない、例えば自己紹介の時間をつくったり等の働きかけを一切せず、ただ放っておく、これも何らかを意図したナッジと言えるわけです。その点において無介入のファシリテーターは存在しませんし、中立的環境もありえません。

ナッジは選択者の自由を守るものではなければならない

ところでこのように書くと、ファシリテーションというものはどこか誘導的で、参加者を自分の都合で騙し仕掛け陥れているようなニュアンスを覚える方もいらっしゃるかもしれません。ここで思い出していただきたいことは、ナッジは強制しない方法だということです。つまり参加者は、ナッジされていない方も選べるし選ばない自由もあるのです。参加者を自由選択ができる環境におかないのであれば、それはナッジではありません。もちろんファシリテーションでもありません。

ファシリテーターにとって重要なことは、グループがなんらかの決定をするとき、[……]グループの選択の自由を尊重することである。

フランリース『ファシリテーター型リーダーの時代』(プレジデント, 2002), p.26

会議にせよ話し合いにせよワークショップにせよ、ファシリテーターであるあなたは、つまるところ参加者にどうなって欲しいと願っているのでしょうか。その願いはけっして独りよがりのものではなく、かといって相手本位だけのものでもないはずです。自分と相手と、そして社会全体にとって、あなたが確信を持って「良い」と思える方向へナッジするデザインを心がけること、これこそがファシリテーターとしての第一歩です。

さて、次回の記事では「アーキテクチャ」という概念をナッジと対置させて論じます。引き続き、お付きあいくださいませ。

記:ワークショップ設計所 小寺
同じ著者の読みもの

※ 2022年10月より毎月、
本著者がファシリテーターを務めます読書会を
オンラインで開催中です。最新情報

連載タイムライン

付録

  1. ナッジ理論は、2003年にハーバード大学ロースクール教授で憲法学者キャス・サンスティーン(Cass R. Sunstein)とシカゴ大学ビジネススクール(経営大学院)の行動経済学者リチャード・セイラー(Richard H. Thaler)の共著論文『リバタリアン・パターナリズムは矛盾しない(Libertarian Paternalism Is Not an Oxymoron)』と、2009年の共著「実践行動経済学(Nudge: Improving Decisions About Health, Wealth, and Happiness)」で詳しく解説されました。
  2. 「ファシリテーショングラフィック」や「グラフィックレコーディング 」については別の読みもの「場の描画技法: 〈ファシグラ〉」や、「場の描画技法: 〈グラレコ〉」や、グラフィックレコーディングと呼ばれる技法(あるいはファシリテーショングラフィックと呼ばれる技法)についてで詳しく扱っています。
  3. モチベーション理論(例えば、マクレガー[Douglas M. McGregor, 1906-1964]のXY理論)、NLP(Neuro Linguistic Programming, 神経言語プログラミング)、交流分析(Transactional Analysis)、心理的契約(psychological contract)、クリーン・ランゲージなど、ファシリテーションに関連する各種理論ともナッジ理論は強く相関します。(参考:Nudge Theory: A Complete Overview – BusinessBalls.com