(応答1) ファシリテーターと講師は違うのか

読みもの

設計所より

複数の研修において、進行役として立った全員がファシリテーターと名乗っていたのですね!私は主に2000年~2010年頃に色んな研修に参加しましたが、そこまで「ファシリテーター」という肩書は一般的ではありませんでした。素直に驚きです。使われ方はともかく、言葉はずいぶんと広がったなぁと感慨深いです。

研修から、各所で開催されているイベントやセミナーに目を向けますと、イベント告知文のなかで、ゲストや登壇者とは別に、「ファシリテーター」として誰かの名前が記載されているのをよく見かけます。イベントといっても本当にさまざまあって、地方活性を考えるもの、クリエイターの集まり、子育て政策を考えるもの、組織や人事、採用がテーマのものなど。

そしてそのイベントに実際に出てみると、「ん?これは…ファシリテーターという役割だろうか」と疑問を感じることが、正直しばしばあります。松本さんのご指摘は研修においての話ですが、私は2018年現在、各種のイベントで違和感を覚えており、共感しました。もしも「司会者」と名乗ってくれていたら、特に違和感は感じないのですけどね。なぜわざわざファシリテーターと名乗るのか、どういう理解や想いがあってその名称を採択したのか聞いてみたいものです。

また一方で、「ファシリテーター」と名乗っていなくても、この方はファシリテーター的な振る舞いが多いなぁと感じる人物と出会うことも、時にはあります。研修に限らず、会議や日々の交流会、ちょっとした立ち話においても。ファシリテーターとは何でしょうね。

ところで、「発言をしない人(あるいは恥ずかしがりの人)が発言を是非させてくれ!と思いたくなるような雰囲気を作るべきである」とのご指摘、改めてそのとおりだなぁと思いました。そうですね、こういう雰囲気が感じられると、ふだんは恥ずかしがりな人でも「きょうは勇気を出して発言してみようかな!」とチャレンジしやすいですよね。自分もぜひ、そういう雰囲気を出せるようになりたいなと、改めて思いました。

記:ワークショップ設計所 後藤
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