グラフィックレコーディングと呼ばれる技法(あるいはファシリテーショングラフィックと呼ばれる技法)について

ファシリテーターとは、ワークショップとは

はじめに:技法との出会い

先日、あるシンポジウムの基調講演で、講演者の伝えることに沿って、カラフルな文字とイラストが会場の左壁側面に書き記されていく仕組みに出会いました。

色彩豊かな表現が、その空間の雰囲気を和ませてくれるし、その様子を写真に撮ってウェブサイトに載せれば、会場の華やかさや賑やかさを広報する一役を担ってくれるように思います。

講演後は、話された内容がカラフルに記されたこのとびっきり大きな紙がロビーに貼られ、聴衆の何人かは描かれたイラストやキーワードをじっくりと眺めたり写真に撮ったりしていました。

私はおかげで、メモし損ねた内容を思い出すことができましたし、なんだったら講演中は自分でノートをとらずとも、この模造紙写真が自分のメモ代わりになるような気もしたのです。

『グラフィックレコーディング』

近年はこう呼ばれます。
「講演や話し合いを、イラストやキーワード、記号などを用いて、参加者全員に見えるように書く(あるいは描く)行為」といった説明が適当でしょうか。

描き記される内容のプライオリティー。

ところで1つ気になったことがありました。先の基調講演で、特に重要だと私が感じて手元にメモしたことが、『グラフィックレコーディング』された模造紙上では何も触れられていなかったのです。

その話題は、講演者も何度か重要だと説いていたし、講演後の質疑応答でも、聴衆の一人がそのテーマを取り上げ、講演者と興味深い議論を交わしていました。

なぜこんなに重要な話題が、模造紙に記されなかったのでしょう・・?

書き手にとっては重要とは感じないことだったのかもしれないし、少々専門的な内容だったため内容が理解できなかったのかもしれません。
講演内容を記しているとき、書き手の方はとても忙しそうでしたので、描ききれずに抜け落ちた可能性もあるでしょう。

いずれにせよ、その書き手の方に責任はありません。
なぜなら、(1)あくまでその話題を「重要だ」と感じたのは私個人であると同時に、(2)その講演で起こっていることすべてを描き記すことは不可能だから、です。

「重要だ」とか「メモしておきたい」という事柄は、聴衆一人ひとり異なります。

書き手も聴衆の一人ですから、講演内容の何を拾い、何を捨てるかは他の人と違うのです。

拾った話題を文章にするのか、要約するのか、図や記号にするのか、イラストにするのか、その表現方法も書き手によって当然変わるでしょう。

仮に聴衆が100人いて100人全員に模造紙と筆記具を渡して、聞いた話をグラフィカルに記せば、100通りの異なる作品ができるはずです。(その100通りの出来栄えを互いに見あい比べることはとても意義あることだと思います。どのように意義があるのかは次回の記事で詳しく述べます。)

以前、「講演内容をすべて客観的に記すことを目指している」というイラストレーターの方がいましたが、それはなかなかのファンタジーです。

なんのために描き記されるのだろうか。

『グラフィックレコーディング』という名がついてはいますが、講演内容を誰かが記したイラストや図は、書き手以外の人間にとってはレコード(記録)ではないのです。

その模造紙を、講演内容の客観的記録であるかのように他の誰かに伝えたり広報することはよくないことです。

講演者にとっては講演内容が書き手の認知を元にした自分の意図しない記録が残るし、聴衆にとっては記録の捉え方に依存することになるし、その場にいない人にとっては講演内容がきちんと伝わらないからです。

では『グラフィックレコーディング』は不要でしょうか。
私は以下の前提のもとでは大変に有用だと思います。
その前提とは、話を描き記す目的を書き手がきちんと自覚し、その目的を明確に参加者と共有できることです。

なんのために話を記すのか?
『グラフィックレコーディング』の目的は大きく3つに分類できます。

1つ目は「相互理解の促進」。
ここには合意づくりの支援や発想の呼び水としての機能が含まれます。

2つ目の目的は、その名称にも含まれる「記録」。
議事録づくりとも言い換えられます。

そして最後は、「即興アート」です。

各目的の解説と、その目的で話を描き記すときの注意点を、次回の記事から一つずつ詳しく解説しようと思います。
お楽しみに。 <続く>

注)この記事は、(株)ピースオブケイクのWEBサービス「note」で2016年12月14日に公開した記事を、加筆修正したものです。

記:ワークショップ設計所 小寺
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