場の描画技法: 〈グラレポ〉

ファシリテーターの思想
場の技法シリーズの12回目をお送りいたします。
今回は「描画」の技法の1つ、〈グラレポ〉について記しました。

グラフィックレポーティングの略称です。何らかの情報を、字・記号・絵・イラスト・色彩などさまざまな表現を用いてレポートに仕立て直す技法を指します。出来栄えは〈グラレコ1に近いのですが、〈グラレコ〉は即興的に場を記録する技法であるのに対して、〈グラレポ〉は後になって描き手がグラフィカルにまとめたものを指します。

グラレポ〉は、〈グラレコ〉に比べて描き手の編集が作用します。描き手の内省が反映されるのです。比較対象として〈グラレコ〉について先に述べましょう。〈グラレコ〉はTwitterに似ています。その瞬間の出来事を、瞬時に切り取って描かれていきます。連なる時間の微分値のようなものです。ですから描き手がどれだけ注意していても、熟慮は相対的に後回しになります。一瞬一瞬では思考し判断をしているかもしれませんが、〈グラレポ〉に比べれば即断が桁違いに多く必要になります。即断の多さは、ヒューリスティクスによる思考(システム1: 直感的処理)に頼らざるをえないことを意味します2。描いたゲストの顔の表情はなぜその表情を選んだのでしょうか、なぜ下線を太く黄色で引いたのでしょうか、なぜ囲った色は濃い緑なのでしょうか、箇条書きのスペースが少なくそれ以上アイディアを挙げようとすると場所がないレイアウトにしたのはなぜなのでしょうか。即断を繰り返し続ける限りにおいてその理由を明確にしながらはいちいち描くことはできません。(描き終わってから理由を後付けできることはできるかもしれませんが、その後付けが、場によいであろう影響をもたらすと確信しているかは、理由が予め明文化できていない限り証明できません3。) 一方で、〈グラレポ〉は表現したいことの全体像がわかった上で、あとから表現し直す作業を伴います。そのとき起こった社会的相互作用の出発地と寄り道先と終点が、〈グラレポ〉を始める時点でわかっている、という構造をもちます。その場の熱気や高揚とも一旦距離をおいてからペンを握ることもできます。何を強調し、何を省き、何を伝えたいのか(あるいは何を伝えることが求められているのか)十分に熟考できる機会があたえられているのが〈グラレポ〉です。描き手が、自身の認知の枠組みや価値観と向き合う時間も十分にあります。つまり〈グラレポ〉はデザインに相当します。その描き手が熟達したデザイナーなのであれば、できあがる〈グラレポ〉には一定の信頼性が伴います。作家(author)としてその権威(authority)の用い方を熟知していることも期待できるでしょう。

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技法は、単体ではどんな場でも機能しない。状況を、「事前」と「今、ここ」の2回ある機会を活用することで適切に見極めて複数の技法を重ねる必要がある。
訓練を受けたファシリテーターを複数存在させることも有効だし、さらには参加者を巻き込んで技法選択を検討できるとなお良い。
各技法は、前後の技法の接着面を「場の設計技法」によって明文化することで初めて機能する。単体の技法のみの安易な導入は、場の失敗につながる。組織内の信頼関係を毀損しかねないばかりか、下手をすると一部の仲間に心の傷を負わせるリスクが発生してしまう。十分な善意と設計を熟慮してその場に臨むことがファシリテーターの義務であることを踏まえて、各種技法を活用して欲しい。

記:ワークショップ設計所 小寺
同じ著者の読みもの

※ 2022年10月より毎月、
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付録

  1. グラレコ〉に関しては、読みもの「場の描画技法: 〈グラレコ〉」も参考いただけます。
  2. ヒューリスティクスやシステム1: 直感的処理については読みもの「処理流暢性をワークショップ設計で保留する」で解説しました。
  3. もちろん描き手以外の主体もヒューリスティクスによる思考や言語化を伴って場へ参加しています。ですから、描き手と参加者には十分なコミュニケーションが必要になります。そのコミュニケーション手段は言語でも絵でもどちらでも構わないでしょうが決して放棄してよいものではないはずです。