前回記事からの続きです。
ファシリテーターデビュー
ワークショップ当日。準備物は整っていたが、細かい作業が多く開場ギリギリまで手間取り、早速設計所の方に助けていただく羽目に。「緊張して参加者を待つ」という予想は外れ、あっという間に開場時間となった。
参加者はスタッフも含め6名、男性女性3人ずつという構成だった。印象に残る場面は、開始早々のおにぎり作りワーク。「久しぶりだなぁ」「どんな形にしよう」どの顔からも笑顔がこぼれていた。このおにぎり作りワークは、プログラムのどの部分でやるか? もしくは見送るか、設計所の方と何度も話しあった。おにぎりを作るのであれば、福島の食材でやりたい。だけど、もしかしたら福島の食材を気にする人が居るかもしれない。こんなジレンマに陥ったが、おにぎりワークはやる、ただしおにぎりを食べる時間は設けない(食べるか食べないかは参加者一人ひとりの判断に任せる)と決めた。「おにぎり作りは人を和ます」「福島の食材はきっと受入れてもらえる」と、信じて。
そして当日、ふたを開けてみれば目の前には楽しそうにおにぎりを作る人たちが。中には、作ったばかりの温かいおにぎりを大事そうに手で抱えている方もいて、胸が熱くなった。
参加者の力
本編のプログラムは予想以上にサクサクと進み、30分以上も早く進んでしまった。「いくら検討を重ねた設計でも、当日は思い通りにはいかない。」設計所の方の言葉が頭をよぎる。自分でも面白いほどに冷静でいられたのは、その言葉と、参加者の方々からの助けがあったためだと感じる。当日は、緊張を感じさせないようアットホームな雰囲気を心掛け、おにぎりワークも冒頭に設計した。その甲斐もあったかもしれないが、参加者の方々が積極的に取り組む姿勢や、相手を受け入れる眼差しなど、和やかな時間を共有することができた。また、途中のメインセッションでは、時間の調整が必要と感じたこともあり自分の判断で予定よりも多くそこに時間を当てた。話題が煮詰まり過ぎたと感じる場面もあったが、参加者のグループ・ダイナミックスを見ることができ、大きな収穫となった。そして、福島の食材で作ったおにぎりを「早く食べたかった!」と、休憩時間に食べる人、残った食材でさらにおにぎりを握る人。初めてのワークショップ参加者は、私にとって心に残る方々となった。
ふるさとに自分ができること
福島の食材だけで行った今回のワークショップの調達は、ほとんどを地元に居る友人にお願いした。彼女から聞いた、米農家の方が言っていたという印象に残る言葉がある。「地元の農家はみんなビクビクしている。東京の人に米を売って何を言われるか」そう言って、初めはとても警戒されたという。彼女が私の話、今回のワークショップ開催について説明したところ「そんな風にうちの米を使ってもらえるなんて」と、涙ぐんでいたという。私はその話を聞いて、泣いた。嬉しさではなく悔しさで。ただ、真面目に実直に地元に根づいた生業をしてきた人たちに、そう思わせてしまっている現実に、悔しいと思った。私の力は微力だが、何かできることはある。活動を続けていこうと心に誓った。
新しい気づきを胸に
ワークショップを終えて数ヶ月。あんなに想いを込め、夢の中でも設計していたワークショップだが、正直やり切ったという実感はない。そんな簡単な世界ではないし、やっとスタートラインに立ったばかりだと捉えているからだと思う。自分には絶対無理だと思っていた世界は、カウンセリングのように相手と個別に対話をしない代わりにワークショップ設計に想いを込める。参加者に、ワークを通し感じて欲しいこと、持ち帰って欲しいことを想いながら。
後日、「ワークショップ中、自分が話したくて苦しくなるようなことはありませんでしたか?」と、設計所の方に質問されたが、そんな感情は一度も起こらなかった。自分の生み出したワークに、参加者が真剣に取り組んでいることが、ただ嬉しかった。
もっとこうすれば良かった、ということはたくさんある。でも、これから出逢うであろう、ワークショップや参加者の人たちを想像すると、ワクワクする自分がいる。カウンセリングのような対話がなくても、相手に伝えられる気づきがある。ずっと躊躇していた新しい世界は、私にもさまざまな気づきを与えてくれた。
記:地域コーディネーター 海月
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