ファシリテーターズ ハイの話

ファシリテーターとは、ワークショップとは
目の前の人や集団、空気と向き合い、リアルタイムで自分がその一部を担うときは、ワークショップでファシリテーターをしていても参加者の立場でも、とにかく目の前に集中している。

「ファシリテーターズ ハイ」現象

設計所メンバー内では、ランナーズ ハイに習い「ファシリテーターズ ハイ」という語で呼ぶ特定の現象が存在することが共通認識されている。

ワークショップやヒューマンスキル研修の現場など、対人コミュニケーションに没頭した時間の後は、五感が鋭敏になり、普段より視力があがったかのように景色がくっきり見える。(アホな話で恐縮だが)アクションゲームなどをこの状態で行うと、平常に比べて高得点が出せる。ミスをせず、正確で素早い反応ができる状態になる。

ある種の覚醒状態、興奮状態になっているのだろう。
沈静化したあとは十分な栄養と休養が必要になる。(もっとも自分たちの場合なので、ペース配分が上手な方や、心身ともに活力が並外れて溢れている方は違うのかもしれないが。)

火事場の馬鹿力とも通じるものがある。
自分の言動ひとつひとつに何か抜き差しならない大事なものが関係していて、それは火事場なら生存だし、スポーツの試合なら勝利だし、ファシリテーターなら場の企画者、参加者全員にとって実りある体験を生むことだ。
お互い貴重な時間を費やして集っている以上、ここに来て良かったと誰もが思えるような場にしたい。その切実さが、全身の毛穴を開かせるように全ての感覚器官の力を呼びさますのかもしれない。

ファシリテーターの観察、決断、介入、そして内省

ワークショップで特にファシリテーターを担う場合、複数いる参加者の表情、目線、身体の動き、発する言葉に注意を向け、目を向けていない方向については耳で、もしくは会場の温度で全体の場の状態を察知し、さらに目の前の状況の数分後に何が起きそうかを予測し、それが参加者たちにとって良くないと思われるものならその瞬間、介入しないといけない。
もちろん介入が必要か不要かも、常に判断をもとめられる。
ファシリテーターにとっては、介入することも介入しないことも、同じように重たい意思決定だ。
予測がつかず、正解がなく、自分ひとりで、今この瞬間に決めなくてはならない時間がワークショップ終了まで続いていく。

ゆっくりと考えていては場の展開スピードに間に合わないので、ファシリテーターは直感で行動せざるを得ない。
人間の直感に関する詳しい学術的側面は勉強不足なのだが、おそらく判断のショートカットということのように思う。
ファシリテーターの数だけ、いや場の数だけ、判断の拠り所となる事象も、決定に使う根拠も考え方も、判断した結果にもとづき自分が発する言動も、その結果起こることも一つひとつ異なる現れ方で存在する。

ファシリテーターの研鑽

ファシリテーションする力を磨くということは、最低限、適切な範囲の結果におさめられること、あわよくば想定以上であったり予想外であったりする成果が生まれる場となる確率を上げることでもある。
100点満点のペーパーテストで例えるなら、赤点をとることがなく、たまに120点を取るということだ。

また、その成果に至るまでの過程が適切かどうかにも気を配っている。
同じくペーパーテストの例えを用いれば、問題文と出題順がが適切な解決手段なのかどうかを判断できるようになることだ。
ワークショップやファシリテーションをその集団が必要とする背景や課題にさかのぼり、そのコミュニケーション手段へどこまで希望をもつのかを考えることも重要だからだ。そのうえで、解決につながる希望や効果がたとえ0.1%だとしても、あえて実施する選択肢もある。

大きな社会課題へ挑む小さなワークショップは、この0.1%を夢見て企画するケースが多いかもしれない。
それでも自分が挑むべきだと思えるならば、やったほうがいい。
声を上げ続けることでいつか世の中の潮流が変わるかもしれない。