ワークショップデザインとワークショップ設計

ファシリテーターとは、ワークショップとは

はじめに

ここでは〝ワークショップ〟という言葉の定義を細かく論じることはしません。

あえて〝ワークショップ〟を日本語に置きかえるならば「普段より参加している実感が大きい空間」と、ひとまずしておくことにします。
一方通行スタイルの講義はワークショップではないという考えもありますが、普段より少しでも参加している実感が大きければ、その空間はとりあえず〝ワークショップ的〟になったと呼べます。

それぞれの語義

この記事で書きたいことは、ワークショップデザインとワークショップ設計についてです。
そもそも〝設計〟の英訳はdesign(もしくはplan)ですが、日本語としての〝設計〟と〝デザイン〟には微妙なニュアンスの違いを感じるのは私だけでしょうか。

デザイン

1.下絵。素描。図案。

2.意匠計画。製品の材質・機能および美的造形性などの諸要素と、技術・生産・消費面からの各種の要求を検討・調整する総合的造形計画。「建築——」「衣服を——する」

新村出編(2008)『広辞苑』第六版, 岩波書店.(強調下線引用者)

設計

1.ある目的を具体化する作業。製作・工事などに当たり、工費・敷地・材料および構造上の諸点などの計画を立て図面その他の方式で明示すること。「ビルの——」

2.比喩的に、人生や生活について計画を立てること。

前掲書(強調下線引用者)

あなたは違いを感じますか。それとも似た意味に見えますか。
デザイン:designは、元々ラテン語のdesignare (ディシグナーレ)という言葉に由来し1500年ごろからイタリアやフランスで使われた言葉で、素描を意味する「デッサン」と同じ起源をもちます。接頭辞deは英語のaway fromに相当し、sign(≒signare)は署名です。自分の描いたものだと署名する行為、あるいは署名そのものが「デザイン」でした。1500年代後半から1600年代初期にかけては特にアートの分野において「自分の内面を表した計画」という意味で使われ始め、「計画の概要そのもの」を表すに至ります。ここから辞書にある「総合的造形計画」に転じたのだと思われます。
一方で設計とは、素描ではなく製作物や工事するものの計画図をつくることです。ここから土木や建築以外の分野でも、計画を立てること全般に意味が広がっていったのでしょう。

デザイン氾濫問題

辞書的な語義や起源を簡単に確認しましたが一旦脇に置き、現代の私たちが言葉からイメージを想起したとき、〝デザイン〟という言葉はどうもとらえどころがない。若者ことばを使うならばフワッとしている気がするのです。

ソーシャルデザイン
社会的デザインとは。そもそも社会と関連の無いものがあるのだろうか。
未来をデザインする
だれもがやっていることだ。無意識にかもしれないが。わざわざ言葉にするほどのことなのだろうか。
デザイン思考
何かを思考している時点でもうデザインは始まっていると思うのだが。

我ながら、こまけぇこたぁいいんだよ!!(訳:細かい事は気にするな)と思わないではないですが、気になるので仕方がありません。
上記3ワードもそれぞれ深い意義があって名付けられたのでしょうが、デザインという単語が含まれるこれらの言葉はあいにく私にはすんなりと意味が頭に入ってこないのです。

ワークショップはどのように準備するのか

この記事の冒頭でワークショップを「普段より参加している実感が大きい空間」と言いました。
例えば、普段より参加の実感が得られると思われる工夫を施す場合。
その工夫はなぜ行うのか? 「◯◯◯だからこの工夫を取り入れる」という明快な答えがあるはずです。同様に、この工夫を行うことでこの後の時間はどうなるのか? この工夫の呼びかけ人(大抵はファシリテーターが務める)は、なぜその工夫を行わせようとするのか? 今日集まった目的とこの工夫には、どのような関連があるのか?
このような理由が事前に十分検討され、明文化され、それが意識されていなければワークショップの準備ができたとは言えません。
ちなみに、ワークショップを構成するワーク一つひとつに関して上記のような理由を、グラフィカルに書き込み図面として明示したものをワークショップ設計所では「ワークショップ設計図」と呼んでいます。

ワークショップ設計への思い

この準備の結晶たるワークショップ設計図には、細かな論理をきちんと積み上げた工夫の集まりが示されています。この行為を、言葉として「デザイン」と呼んでも間違いないとは思います。建築デザイナーやファッションデザイナーは同様かそれ以上のレベルであらゆることに検討を重ねています。
しかし、いろいろな場面に意味が広がった「デザイン」という言葉を、そのニュアンスを残したまま私はワークショップ分野に適用したくない。そもそもワークショップは事前に「総合計画」はできません。ワークショップを含む人の集団には、往々にして偶発性を含み、最終的には準備者の手の届かないところで空間がデザインされることで成果を生み出す未知の力が隠れているからです。ワークショップの場まで「総合計画」できてしまうのならば、それは決められたレールを受講者が走らされる空間になってしまいます。

ワークショップを事前に準備する行為について、言葉を正確に使うのであれば「ワークショップの意匠計画」がよいのかもしれません。(意匠とは「工夫をめぐらすこと」「工夫を凝らすこと」)ただ少々フレーズとして長い。最良ではないかもしれませんが、私なりに考え抜きその結果「ワークショップ設計」を当団体に名付け掲げた次第です。

ワークショップもワークショップ設計も、何かの手段であることには変わりありません。現代を生きる一人ひとりが実現したいこと、あるいは課題と感じることを、大勢の仲間と多様な他者を巻き込みながら前へ踏み出すためには、皆がそこへの参加実感を感じられるよう工夫する手段を学んでおいたほうがいいように思うのです。それが私の、この社会への提案です。

記:ワークショップ設計所 小寺
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