市販の書籍から定義をひいてもいいし、ビジネス・まちづくり・アートなど分野ごとの文脈を説明するパターンでも多岐に書くことができる。
当ワークショップ設計所ではこうです!といって定義をひとつ置いてしまうのは簡単だが、ここで定義を置くことのメリットが、ワークショップ実践をめざす読者にとって大きいとも思えないのでそれはせずに、たくさんあるように思える選択肢をひとつずつ書いていく。
あなたにとってのワークショップとは、を理解するのに役立てば幸いである。
ワークショップとは、特定の誰か個人の心の中、問題意識から始まる。
- 「Aについて対話してみたい、してほしい」
- 「Bについて学んでほしい、知って欲しい」
- 「Cについて関心をもってほしい、なんとかしたい」
誰かの心中や意思で、こんなことが浮かんだら、ワークショップが生まれる兆しだ。
たとえば対話が切り口のAは、
「会社の3年後のありたい姿」だったり、
「近年、話題となっている生命型組織」についてだったり、
「対人支援職におけるセルフケアの必要性」だったりするし、
学習視点のBは「上司(あるいは部下)との上手な関係づくり」だったり
「顧客への提案営業イロハ」だったり
「業務改善の効率的な段取り」などだろうか。
興味関心としてのCでは「〇〇県◎◎町へ移住するという生き方」
「ライフシフトが提案するこれからのキャリア戦略」
「〇〇社の顧客管理システムがよくできている点」
「シェアリングエコノミー」
「SDGs」
「夫婦の家事分担」…etc。
そして、こういった思いの種が浮かんだ場所が、社長や経営幹部の心中であれば企業研修やビジョンミーティングという名のワークショップになるし、ワークライフバランスを普及させたいと思う集まりの雑談中なら「働き方改革と産休育休のパネルディスカッション」の企画アイディアになろうし、移住促進をさせたいXYZ村なら「XYZ村での自然あふれる暮らしセミナー」が催されるわけである。
思いの種がうまれることはそれだけで喜ばしい。
「もっと◎◎になろうよ」
「〇〇になったら、みんなが幸せになるんじゃないか」
こういった思いは他者(社会)への期待や働きかけ、向上心だし、そういう気持ちをもてることが人間の素晴らしさのひとつだと思う。
ただ本当にもったいないのは、
種をどう具現化すればよいかのプロセスでつまづき、種のままで芽がでないこと。
つまり、「ワークショップの作り方がわからないから企画してみたもののお蔵入り」「セミナーを開くことがいつの間にか目的にすり替わり、思ったような成果があがらなかった」「関係者を集めてその場は盛り上がったものの、成功か失敗の判断がつかない」……山ほど事例がある。
ワークショップを設計できるようになるということは、
このような芽吹くことのない種に栄養をやり、実りを収穫する技術を手に入れることと等しい。