WorldCafe(ワールド・カフェ)の設計 〜実施レポートを交えて〜

ファシリテーターとは、ワークショップとは
「ワールド・カフェ」とは、無数にあるワークショップのいち形式です。
創始者はアニータ=ブラウンという女性と、コンサルタントをつとめる彼女のパートナーの男性。ふたりはこのワールド・カフェ形式について書を記し、日本では2004年にその翻訳書が発売されました。今回ちょっとしたご縁があり、ワールド・カフェ形式を用いたワークショップを企画・実施したのでそのことについて記しておくこととします。

ワールド・カフェとは~会話が世界を変えると信じた女性が始めた話し合い~

アニータ=ブラウンがその著書の序章で述べていた世界、家の居間での活発で多様な会話の世界観をどうやったら参加者に感じてもらえるだろうか? ワールド・カフェの企画にあたり、私の心に常にあった1つの問いがそれでした。ワークショップ事前の準備では、書籍の序章を何度も読み込み、当日会場へ向かう電車のなかでも冒頭の3ページを繰り返しながめ、その精神を自分のものとして取り込もうとしました。

私は、60年代に多感な青年時代を過ごしました。社会的、政治的な激動のその時代に、私たちは物事をあるがままに語り、表面的な出来事の背後にある本当に大切なものを見ようと心に決めました。

ブラウン, アニータ他(2007, p1)『ワールド・カフェ —カフェ的会話が未来を創る—』(香取一昭他訳) HUMAN VALUE.

職場やコミュニティ、家庭においては、大切な質問についての会話を通じてのみ、思いやりのあるコミュニティや、協働学習、全力を投じた行動を進化させる能力が発揮されるのだということが私の強い信念でした。

前掲書 p.3

1960年代。私が生まれる前、両親が出会いすらしていなかった時代のことです。戦争が報道され、暗殺のニュースが流れる中で育ったアニータがその人生から編み出した、世界を変える手段、ワールド・カフェ。

小手先ではない、ワールド・カフェの世界をどのように具体的に提供できるだろうか。アニータが著し、日本人によって翻訳された書籍を読むと、この翻訳は大変な苦労があったろうと頭が下がります。全編にわたってとにかく観念的な表現が多く、具体例を複数掲載しておくから読み手が帰納法的に解釈してね、という形式なのです。抽象的過ぎて読み解きはとても難しい、それでもひとりの人間が人生をかけて発見したメッセージがその本のなかに存在していることは十分に感じ取れました。おろそかに扱うことはできません。

そんなワールド・カフェ形式で今回語り合うコンセプトは「オフラインの会話を見なおしてみる」。私がみずからの目的意識をもとに掲げたテーマです。SNSをはじめZOOMやslackなど、オンラインでコミュニケーションをする次世代ツールが職場に浸透してきた今だからこそ、見過ごせない、探求すべきことだと感じていました。

テーマを探求するためのヒントを、ワークショップ環境にこめました。
香り、温度、音、自分の肉声、手で書くこと、身ぶり手ぶり。オンライン上では再現しきれない一つの要素に生の音があります。音とは振動。肉体が動きしゃべることで震える空気を、五感で受信し、感じること。それを言葉だけに変換してしまいたくはありませんでした。言語による表現のみであればeラーニングでもできます。書物でもできます。それに、言葉は発されたときは既に発見された後のものです。言葉が生まれる前の状態をつくりだしたいと強く願いました。

ワールド・カフェのホストとして ~コーヒーのこと~

事前の準備 〜心を整える〜

ワールド・カフェ形式の源である、非公式なリビングで交わすくつろいだ会話のイメージを表現するために、また、会場に入ってきたときにウェルカムの空気を感じてもらえるように。本物のコーヒーをドリップして持っていくことに決めました。手間はもちろんかかります。でもどうしても必要だという結論にいたったからです。

配る紙コップは小さめのものを用意しましたが、自分が手持ちでもっていける量も容器数も限られています。念のため、全員分に配れるか、水を使い実際に注いで確かめました。20名分、ギリギリセーフ! 予定より多くの方がいらっしゃって、その全員がコーヒーを飲んでくれるとしても間に合います。

当日出かける時間のできるだけギリギリに用意を始めました。参加者のことを思いながらコーヒーを淹れます。天気予報を聞けば、その日は夜になると少し冷えるとのこと。もしも寒いと感じながら会場にいらした方がひとりでもいたら、その方を温められますように、と。時計の秒針を見つめながら慎重に注ぎ、コーヒー粉がお湯を吸って膨らみ、ポットへ落ちるのをおかしなくらい真剣に見つめました。

ワールド・カフェに限らず、ワークショップは予想どおりには絶対にすすみません(予想通りだと思えてしまったら、むしろ失敗なくらいです)。自分にできる準備を全力でやりきって、ありのままの自分で望むしかない。私の今回のワールド・カフェについて「準備をしきった」とお天道様に胸を張って言えるため、1つにはこのコーヒーがどうしても必要でした。

当日その場で起こること 〜偶発性を味方にする〜

ワールド・カフェと謳ったワークショップで、本当にコーヒーを淹れて提供するというアイデア自体を面白がってくださる方もいました。会場入り後、コーヒー用の紙コップにカラーペンで思いつくままに模様をかいていたら、なんと「手伝いましょう」と一緒に描いてくれる女性があらわれました! その方の描くイラストがまたお洒落で、後ろ姿の猫ちゃん、春と自然の広がりを想起させる桜の木など、後で捨てるのがためらわれるくらい素敵なコーヒーカップ達ができあがりました。

ただ、コーヒーの香りが部屋全体に漂うところまでいかなかったのは残念でした。ドリップ後のコーヒーを注ぐだけでは難しかったようです。とはいえ召し上がった方に喜んでいただけましたので、幸いでした。

オリエンテーション 〜予定のワークは始められない!〜

参加者がおおむね集まって各テーブルに分かれて席に着き、いよいよスタートする時間がきました。この日の場の主催者から紹介され、あいさつをします。笑顔でおじぎをして、顔を上げて目の前の光景を見た瞬間、私は固まりました。

できない。この状態では、無理がある。

それはもう感覚としか言いようがありません。会場の雰囲気はなごやかで、参加者の皆さんはよそ見もせず私に注目してくださっている、でも私が事前に準備したワークを始めることができる条件は、いまここに整っていないと感じました。用意していたワークを捨てます。とっさに、参加者のみなさんに声をかけ、全員で集まって輪になって座り直してもらうようにお願いしました。みんなが自分の近くに移動してくる間に、考えます。

座ってからみんなが私の顔を見るまで60秒ほどだったでしょうか。ここで何をするか、設計をこの60秒間では組み切れない! では一番大事なことはなにか。空気! 焦点あわせだ、と思い、テンポ感を意識しながらゆっくりめに話し出したことを覚えています。ふだん早口な私には、話すスピードを調整するのは難儀な行為。ですがファシリテーターを担うときはそうはいっていられません。自分を俯瞰して調整しながらも、自分の口からいま出た声と言葉に耳を澄まし、なにより参加者ひとりひとりに意識を向けます。(こんな瞬間を思い出すたびに、ファシリテーターは、異なる楽器を同時に演奏するバンドのドラマーのようだなと思います。)

今日設定したテーマの背景を話し、自己紹介や初めてこの場に訪れた方などを確認しながら、みんなにまずは一言ずつ話していただく。終わったころには、ワールドカフェを始められそうだと感じられるようになりました。

ワールドカフェ ~ラウンド後の話し合いを受けて、どうする?~

この日のワールドカフェは、1つの問いかけをテーマにラウンド1、ラウンド2、ラウンド3と、3回話し合ってもらい、その後クロージングというシンプルな構成にしました。

今回のワークショップを準備するにあたり、最も頭を悩ませたのが、(そして悩んでも意味がないと事前に重々わかっていたのは、)3ラウンドの後、具体的に何をするかです。ワールドカフェはその形式の特徴上、対話を繰り返します。そして、その対話の内容がどのように発展、展開していくかは実際その場にならないとわからない。予想できないことを前提に準備せざるを得ません。一見簡単に見えて、実は設計も進行もかなり独特の工夫が必要でした。

そして当日。各テーブル、つまり各グループ内で起こっている事象、席替えをしたラウンド2でメンバーが混ざった後の空気。話されているひとつひとつの言葉ではなくて、グループの各メンバーの様子とグループ全体の様子をつかもうと私は神経を研ぎ澄ましました。

この日の参加者は計13名。平均年齢は60歳前後。4名、4名、5名という3グループに分かれました。第1ラウンド、会場全体の声はそれほど大きくない。ときおり大きな笑い声が急に起きておさまります。参加者の平均年齢が高いことも手伝ってか、意外と静かでした。ファシリテーターの立ち位置から見て「心から楽しんでます!」という表情や身振り手振りの方がいないように感じられ、対話が盛り上がっているのかどうかを視覚から読み取ることはできません。

2ラウンド目になって、場が熱を帯びてきたように感じられました。途切れ途切れに耳に入ってくる会話の内容が、1ラウンド目よりも濃密になってきていることがわかります。私が提示した問いかけ文へ目をやりながらも、安易な結論に飛びつくことなく、メンバーが自分の記憶や体験を素材として提供し合いながら、他の方の視点とつなげる(他花受粉)。年齢を重ねるということはそれだけ人生経験もあり視座も高い。発する言葉の深みが違います。参加者自身が内包している資源が少しずつ表出し、グループに問い、自分に問いながら豊かに広がっていく様子が感じられました。

ここにいたって少し安心したものの、問題は、さっきも書いたがこの後。次の3ラウンドが最後の話し合いです。ワールドカフェは問いをかかげて対話します。この日も「?」で締めくくられる40字程の問いかけ文を提示していました。そしてその問いかけ文を変更することなく、3ラウンドにわたって話し合います。1つの問いを複数人で何十分も話し合い続けるのです。

提示した問いに対して、その答えを出してもらうか、否か。
どちらに決めるにしろ、「『で、ラウンドが終わった時にファシリテーターたる自分は、具体的に何というセリフを話すの?』問題」。

結局ファシリテーターとして私が決めたのは、「答えをまったく出さないことにはしない。何らかの答えを出す、でもはっきりと言語化させたいわけではない。」ということ。

具体的には、このようにしました。第3ラウンドが始まる前に、淡い色がついたA5サイズの厚めの紙を1人1枚ずつ配ります。色はもうそこまでやってきている春のイメージに近いパステルカラー、そしてグループ内で1人ずつ色が異なるようにというコンセプトを持って、あらかじめ用意してあった素材から選びました。そして、3ラウンド目の対話をしながら問いについて考えてもらい、このラウンドの終了時には、配った紙に自分なりの答えを、絵でも形でも文字でもいいので表してもらうこととします。この日のテーマは「オフラインの会話を見なおしてみる」。安易な言語化を促進するだけなのであればそれはオンラインでの場と変わらないのだから、今日、このテーマのもとに集まっていただいたみなさんとはオフラインならではのワークをするべきだと確信していました。

第3ラウンドが始まりました。第3ラウンドは第1ラウンドと同じメンバーで話し合うこととなります。様子をうかがうと、一度話した顔見知りのメンバー同士、1ラウンド目よりも会話がずっとスムーズになっているようにみえます。場の全体へ耳をすませば、1ラウンド目から交わされていた言葉、2ラウンド目で生成された新たな意味、そして3ラウンド目で発見されようとしている何かがある。空気も違う。単色の絵の具がまじりあい、美しい何色ともいえない色へ収斂していくような印象でした。

その様子を全身で感じながら、頭ではこの第3ラウンドが終わった後のことを考えました。

今日の場が始まったときとおなじように円になって座ろう。座るときにも注意を要する。だから丁寧に考えました。「円になって座り、全員がひとことずつ話すというワーク」にしよう。こう書くと単純なワークに見えるかもしれませんが、ファシリテーターが話す一言一句、身振り手振りが参加者の環境をつくります[*]。余計なことを1つ口にすること、言うべきことを1つ忘れることで、その後に起こることが全く異なってしまいます。せっかくまざりつつあった色を、自分のせいで歪なものにさせることは絶対にしたくありませんでした。

[*] 参加者がつくる環境:ここではアーキテクチャ(環境管理型権力)を指します。アーキテクチャとは「人間の行動を、環境設計によって物理的・技術的にコントロールする手段。」を意味します。詳しくは、読みもの「ナッジ理論を用いたファシリテーターの環境づくり」 や、 読みもの「アーキテクチャ(あるいは環境管理型権力)によるファシリテーションの検討」 を参考ください。

時計を見上げ、終わりまでの時間配分を計算します。今日はグラフィックレコーダーもついてくれています。ライブの場の音、声、気配、熱を感じながら、ひとりのレコーダーがその目、その手で絵と文字の混成画として記録をしてくれていました。この素晴らしいグラフィックにももちろん触れたい。最後に場の主催者から挨拶を聞く時間も必要です。

3ラウンドの終わりがきました。半分以上の参加者は、A5用紙にまだ何もえがいていない、それは想定していました。あと少しだけ時間をとってかき終えてもらい、移動します。テーブルを離れ、全員が円になって座ってもらいました。いまから1時間半前と同じ形、でも今度は雰囲気も表情も違う。A5の紙にかいたことをみんなに見せながら、思い浮かんだことを話してもらいます。
私からも最後にひとことをみんなに話させていただいて、ワールド・カフェは幕を閉じました。

ワールド・カフェを終えて

2/9のワークショップ設計図ひもとき会では、(今回のワールド・カフェではなく)1月に別のファシリテーターが実施したワールド・カフェの設計図を学習素材として扱いました。この会に起こったやり取りの中で、「集合的な知恵の発見」というキーワードに注目が集まり、参加者全員で話をしました。「集合的な知恵の発見」とは、ワールド・カフェ形式を採用する際に期待できる一つの成果です。

今回の「オフラインの会話を見なおしてみる」をテーマとしたワールド・カフェでは、どこに「集合的な知恵の発見」が表れていたでしょうか。今になって思い起こせば、3ラウンドの最中と、クロージングで参加者ひとりひとりが言語や絵であらわした、問いに対する自分なりの答えのなかに幾つか、その姿を見ることができたように思います。

記:ワークショップ設計所 後藤
同じ著者の読みもの