自分と他者のかきたいこと、かかれたいことは異なる

ファシリテーターの思想
前回の読みものからの続きです。)

板書することのメリット、板書ができるスキルを持つことは、職場の会議にまつわる様々な面で役に立ちます。女性や若手、新人などの弱い立場、それらの自認からくる自信のなさをカバーしてくれる支え棒として。リーダー・マネジャー職においては、チームメンバーの尊重、モチベーションの維持向上及び組織上の使命の遂行手段として。(業務改善、ナレッジマネジメント、働き方改革やダイバーシティ推進など部門横断プロジェクト推進etc.)協働が必要なミーティングやプロジェクトにおいて。

このように良い面を述べると大変に有用な技術に見えてくるかもしれません。しかし陽が差せば影ができるように、かくという権力を行使することの避けがたいデメリットもまた、メリット同様に存在します。以下ではそれについて触れていきます。

書きたい、あるいは書くべき内容や粒度やタイミングが、自分と他人で違うこと
書くか書かないかの選択は瞬時に行わなければなりません。(書き手になった経験がある方なら身にしみていることと思いますが。)手が書く速度は、会話の速度に追いつくことができません。かといってワンフレーズごとにいちいち止めて「これは書きますか?どうしましょうか?」と確認をとっていたら話が前に進みませんから、書き手がエイヤで取捨選択して書かざるを得ない。

いったん書いてしまえば全員の目に情報が入りやすくなり、そのことによって逆に、書かれていないことへ思考が飛ぶことを制限します。書くことは議題や発言を丁寧に扱うことにつながりますが、ダイナミックにどんどん発想を展開させていきたい場合は、その飛躍の足を引っ張りもします。
例えばこんな参加者がいるかもしれません。板書役が書いている内容と全く違う、しかし会議の開催趣旨や出すべきアウトプットに対して真に貢献する論点やアイデアを黙って考えつめている方。一見不機嫌そうに腕組みしてへの字口をしている新人の頭の中でそれが起きているかもしれません。組織の文化や規範に染まりきってない新人や外様だからこそ見える視点があります。流れをぶった切ってそういった視点を優先して表出してもらい全員で扱うほうが、会議のよい成果につながることがままあります。板書が議論の邪魔になっては本末転倒です。

板書を進んで引き受ける人は、「かける」「かきたい」「かいて場に貢献できると嬉しい」傾向があります。しかし会議は板書のためにあるのではありません。人が単独では創れない価値を生んだり、参加者全員で決める必要があったりするから集まって話し合っているわけです。なぜ会議をしているのか、この会議がよりよい収穫を得るために今なにが必要か。かけるからかいてしまうのではなく、自身の傾向と影響力を理解したうえで、自分を含めたチーム全員が喜ぶほうへ目を向けねばなりません。

記:ワークショップ設計所 後藤
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