男女論とか教育論とかは、他でもたくさん議論されているので脇に置きます。
身近な人の話なんですが、サインコサインと聞いた瞬間、急にテンションが下がる人がいるんですよ。他にxやyといった記号(変数)・方程式やグラフ・微積分なんかも、まるであの黒い害虫かのような忌み嫌われ様。こういった数の話にバックダッシュする方がいるわけです。まあ白状しますと、うちの奥さんのことなんですけどね。
私は大学受験をしていないので、文系理系という受験科目による分類はあまり馴染んでいないのですが、一応、総合政策学部という文系に類される学部を卒業しました。けれど、高校時代は理数クラスと呼ばれる数学や物理化学のテスト得点配分が総合成績に多く影響するコースを選んでいました。いまさらな話ですが、文/理の境目は曖昧なもんです。
数の問題は面白いと私が好奇心を持ったのは小4の頃。通っていた塾で、渡邊先生という先生が「算数的に」問題の解き方を教えてくれました。「数学的に」じゃなくて「算数的に」というのが、いま振り返るとミソだったようです。
例を挙げましょう。
[問題] 和歌山からミカンが大量に届きました。職場で一人3コずつ配ると52コ余りました。そこで、一人5コずつ配り直すとちょうど分けられました。この職場には人が何人いて、届いたミカンの数は全部で何コだったでしょう?
まあ、ミカンは和歌山より愛媛だろう!とか、独身者は1コずつにしてもらって扶養家族いる人には5, 6コずつ分けようとか、帰りがもし満員電車だとミカン潰れないかなぁとか、そういう心配は無しの方向で。(というのも数が苦手な方の多くが、こういう問題の物語的なところを気になさる傾向がある気がするんですよね。)
さて、とりあえず「数学的に」解くとこうなります。
職場にN人いたとします。(出たよ記号!)
3コずつ配ったときのミカンの数は、3 × N + 52 と表せます。
5コずつでは 5 × N となります。ミカンの数は同じなので、
3 × N + 52 = 5 × N と、式ができます。
あとはこの式を解くだけ。
あえて細かく順を追いましょう。解ける人は飛ばしてね。
こういうイコールで結ばれた式は、左側と右側の両辺に同じことができます。
3 × N + 52 = 5 × N(まず左も右も 5 × N を引く)
3 × N + 52 − 5 × N = 5 × N − 5 × N(すると…)
−2 × N + 52 = 0(次に両辺から52を引く)
−2 × N + 52 − 52 = 0 − 52(すると…)
−2 × N = −52(両辺に−1をかけ算)
−2 × N × -1 = −52 × -1(マイナス×マイナスはプラス)
2 × N = 52(両辺を2で割ります)
2 × N ÷ 2 = 52 ÷ 2(すると…)
N = 26
Nはなんだったかというと職場の人数だったので、職場には26人いたと。ミカンの数は、 3 × 26 + 52 = 130コと求めてもいいし、 5 × 26 = 130コでもよし。
これが「数学的な」解き方。というか方程式を使った解き方。イコールで結べる式をつくった後は、ミカンも職場も関係なく、ただ機械的に処理します。
しかし、ここにはマイナスや、N(変数)といった小学校では習わない概念が出てきます。
そこで、小学校で習う範囲で、つまり「算数的に」解くとどうなるか。
まず、ミカンを3コずつ配った様子をとりあえずこう書いてみます。
③ ③ ③・・・③| →52コ余り
職場に何人いるかわからないけど、とにかく3コずつ配ったら52コ余った、と。
一方で、5コずつ配ったら余ることも足りないこともなかったようなので、同じように書くとこうなります。
⑤ ⑤ ⑤・・・⑤| →ちょうど
仮に、職場の人数が1人だけだったとすると3コずつのとき何コ余るか?
③| ??コ余り
⑤| ちょうど
ミカンは全部で5コなので2コ余りそうです。52コも余りません。
③| 2コ余り
⑤| ちょうど
では職場の人数が2人だとどうなるかというと・・
③ ③| ??コ余り
⑤ ⑤| ちょうど
ミカンは全部で10コになって4コ余りそうです。やっぱり52コも余りません。
③ ③| 4コ余り
⑤ ⑤| ちょうど
どうやら職場の人数が1人増えるごとに、余りは2コずつ増えるようです。
問題では余りが52コだったので、職場には 52 ÷ 2 で26人がいたことがわかります。
あとはミカンの数を計算するだけ。方法は先ほどと同じです。
この解き方は「差集め算[さあつめざん]」と呼ばれていました。
1つ1つの差(ここでは配るミカンの数の差 5 − 3 = 2コ)が集まった結果、52コの余りが出たと考え、余りの合計52を、1人分の差2で割るという発想を導きます。
こういった発想に至るまでの過程は、実はとても苦しい。ああでもない、こうでもないとウンウン唸る。いっそのこと解き方を見てしまいたくなる。そんな誘惑に負けず考え続けてある時「こうしたら解けるかもしれない!」と閃くわけです。その閃きに従って問題を解いた結果、自分の解答と正解が同じだったこの瞬間は、子どもの頃とても嬉しかったことをよく覚えています。模範解答と自分の解き方がぜんぜん違っていたときなんかは興奮しましたね。だって通常とは違うオリジナルな解き方を自力で見つけたわけですから!ガッツポーズものでした。
問題文のまま方程式をつくって淡々と機械的に作業する「数学的な」解き方に対して、「算数的な」解き方では、こう書いてみようかな?とか、こうするとどうなるかな?といった風に試行錯誤、発想の転換、論理を飛躍させる思考などが必要になるように思います。ミカンの場合、方程式は文章のままつくりましたが、差の合計を1つ辺りの差で割るという思いつきがなぜ生まれたか?と問われると正直、根拠はないんです。なんとなく?ビビビっと閃いた直感です。
算数的に閃いて、数学的に論拠とかデータを探して閃いたことを説明できること、道端の草花の名前や偉人、ちょっとした理論をパッと思い出せる引き出しの多さ、そして人の気持ちや美、情緒に寄り添える感性、この辺りバランスよく磨いていきたいものです。心技体?ちょっと違いますね、なんだろう?バランス大事、なんてなんとも安直な結論になってしまいました。書きたいこと他にもあった気がするんですけども一旦筆を置きます。県知事さん、サインとコサイン使って合弁花と離弁花でもグラフ上に作図してみましょうかね。
注)この記事は、Facebookにて2018年5月10日に公開した記事に加筆修正を行ったものです。
記:ワークショップ設計所 小寺
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